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中村裕イズムと障がい者スポーツ

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中村裕イズムと障がい者スポーツ
太陽の家には「中村イズム」や「中村裕DNA」という言葉がある。私は実際に中村裕に会った事は無い(私が太陽の家に入所した時にはすでに他界)。しかし、中村裕に関わった方、多くの先輩方から「中村イズム」の示す事が脈々と受け継がれている。「保護より機会を!(No Charity, but a Chance!)」が根本の理念であることは、このTOMONYサイトの中でも書かれているとおり先人の方達は「働く機会を」提供するため沢山の努力をしてきた。

障がい者スポーツも同様にこの考え方をもとに、1981年から大分県で国際車いすマラソン大会が始まった。私が障がいを負ってから始めたのは車いすバスケットボール、当時はいろんな障がい者スポーツを普及するために車いすバスケットボールだけではなく、車いすマラソン、車いすテニス、水泳、パラカヌーをやり、いろんな大会にも出た。良い記録は出ていないが出場する事に大変な意義がある。障がいに程度というものがあれば私は比較的軽度な部類に分類されていたので、なんにでも出場し大会を盛り上げた。『車いすテニスの練習は行ったがルール(コートチェンジタイミングなどなど)自体を知らずひどい目にあったのは言うまでもない』。

多くの先輩方から学んだのは、「君たちがスポーツを一生懸命やりぬき活躍していく中で、職場でも能力を磨き組織や会社の経営に関わって、障がいのある人のために動け」と言う言葉が耳にいつまでも残る。その後、先輩達は太陽の家関連企業の工場長や社長になっていく、現理事長も一人の先輩としていろんなことを教わった。今まさに経営に関わる立場になり、この重大なミッションがずしりとのしかかる。

他にも学んだ事があり、仕事やスポーツ以外にも私生活で先輩達と度々酒を飲みに出かけた。別府には北浜という飲み屋街があり、車いすの人たちが大勢押しかけ「カウンターが高い」だの「テーブルに足が入らない」だの「車いすトイレは無いんかい」だの「エレベーターは無いんかい」だの好き勝手に店主に言葉を投げた。当時は何という障がい者だ!と思っていた(私も障がい者だ)が、これは後々に居酒屋に車いすトイレが出来たり、スロープができる事に繋がる。飲みに行く機会を提供する切り込み隊だったとつくづく思う。

現在、少しは障がい者が認知されて来たとは感じる、でも、これから私がどの道に進むべきかはまだ定まらない。「中村裕」の師であるルードヴィッヒ・グットマンが言った「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」と、私の何を生かし何をすべきかを自問自答する日々は続く。
「中村イズム」の伝承者の一人として。

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