障がいのある人もない人も共に
働くための情報ポータル

  1. HOME
  2. トモニーブログ
  3. コラム
  4. 「パラリンピック」と「テレワーク」

トモニーブログ

「パラリンピック」と「テレワーク」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「パラリンピック」と「テレワーク」

先行き不透明ではありますが

8月24日から始まる(予定の)「パラリンピック」。

タイトルを見て、東京での開催期間中に混雑を避けるための

テレワーク推奨の話かなと思われた方も多いと思いますが…実は違います

答えは、このTOMONYサイトでも多くご紹介している

中村裕博士なんですね。

https://www.tomony.net/disabilitywork/remote.html

 

ご紹介の通り、障がいのある方の就労の草分け的存在、

「太陽の家」の創業者でもあり、当サイト運営会社の三菱商事太陽株式会社の

初代社長でもあった中村裕博士。

 

それまで、オムロン、ソニー、ホンダといった製造系の各社に次いで、

三菱商事とはITを使った事業に乗り出してゆく…

 

その事業開始当時に地元テレビ局が取材にやってきた時のこと

中村「社長」は次のようなことを話されていました!

 

「これは、もうコンピュータのいいところで

 家において、家庭の中で寝たきりの人が

 頭さえしっかりしておれば、プログラマーの訓練終わったあと

 給料がとれる、生活ができるということは非常に嬉しいことなんで

 超重度の方が、こういう仕事ができるということで

 私はもう、前途洋々たるものがあると思うわけですね・・・」

 

1984年2月のことですから、

これが実に今から37年前のことです

もうこれは「テレワークの預言者」だったといえますよね!!

 

言わずもがな、中村裕博士は

 「日本パラリンピックの父」と評された人です

つまり

日本のパラリンピックの父は

テレワークの預言者でもあった! ということです

 

中村博士の口癖だった

「失われたものを数えるな、残されたものを活かせ!」

「足りないところは科学の力で」

というお言葉は

障がいのある人にとっての競技スポーツや

働きづらさを克服して、在宅という形で働く、という

今日的な「テレワーク」にも通用することだったと言えます

 

その意味で

「パラリンピック」と「テレワーク」は

中村裕博士を結節点にして

実は近いテーマであったのだ!

 

というお話でした。

 

★ご興味ある方は

 


「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」

  https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065167977

 

まだ「リハビリ」という言葉さえなかった昭和30年代。1人の医師が、
障がい者の社会復帰と自立のために立ち上がった。
彼は1964東京パラリンピックを成功に導き、日本初の障がい者施設を
設立する。人生を全速力で駆け抜けた“日本パラリンピックの父
”中村裕、感動の実話!

 


「中村裕 東京パラリンピックをつくった男」

  https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784877584801

 

天皇、皇后を応援団にして、類まれな行動力で障がい者スポーツを推進。
信念の人、中村裕の生涯。



「オリンピック・パラリンピックにつくした人びと 中村裕」

    https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784338322065

 

障がい者がスポーツをすることなど、考えられなかった時代。
中村裕は、1964年東京パラリンピックを成功にみちびいた。
彼の強い熱意が、障がい者の未来を切りひらいた!




 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

見学ツアー申込、講演依頼はこちらから

見学ツアーのお申し込み、講演依頼はこちら

Copyright © Mitsubishi Shoji & Sun. All rights Reserved.