障がいを負って生きてきて

私は病気で40代の時に、体幹機能障害により歩く事が出来なくなってしまいました。治療~リハビリを終え社会復帰が出来ましたが、従来行えていた職務が車いすになった為に出来ず職務を変えて働いていました。私の出来る仕事が限定的になった職場での能力は明らかに低くなりました。私を気遣ってくれる半面、お荷物に思われているような空気を感じるようになりました。やがて職場に居づらくなり、退職を考えるようになりました。
当時の私には家庭があり、妻や子供を養う為に働く必要がありました。障がいのある40代の転職は思った以上に大変で、従来の人脈での仕事探しは全滅でした。当時は健常者が働く社会の中に障がいのある人が入り込む事はとても難しく感じました。
求職中に職業安定所から地域支援センターを紹介され、障がいのある人を中心に雇用を行う施設(企業)がある事を教えてくれました。地域支援センターの支援を受けて、ようやく働く所が見つかりました。以来、私は障がいのある人を雇用する特例子会社で現在も働く事が出来ており、2人の子供も成人し社会人になる事が出来ました。
近年は障がいのある人の雇用に社会が積極的になっているように見えます。しかし、障害者雇用率を達成する事が先行し、障がいのある人を受け入れる準備やノウハウが無い事から、出勤しても仕事が無く一日中デスクに座ったまま等の実例もあるようです。前職で障がいを負った私が経験したことで、辛かった事を思い出します。
当施設の創設者が以前に「こんな施設はなくなればいい」と言ったそうです。障がいのある人が働ける施設を創設し苦労して作り上げた施設をなくすとは、きっと世の中で障がいのある私のような人が施設(企業)の枠の中だけで働くのではなく、世間一般の社会で広く働ける世の中になれば特別な施設(企業)は必要なくなると、将来に期待を込めた言葉だったのかもしれません。
やがて、私は定年を迎えようとしています。数えきれない方々の支えで今迄、生きてくる事が出来ました。そんな私でも実は、特例子会社でなく以前のように健常者が働く職場で前職のような仕事に未練があるのも事実です。
最後に、障がいを負って生きてきて思う事は「幸せ」だったと実感できる事。多少の不便はありましたが概ね二重丸な人生でした。