「障がい」と「個性」を考える

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私が「障がいを持つ人達」と出会ったのは、社会福祉法人太陽の家で勤務を始めた1980年代になります。
当時の太陽の家で働く「障がいを持つ人達」は、大半が身体に障がいを持っていましたが、それぞれが活発で、いつも本気でぶつかり合い切磋琢磨する環境でした。その背景にあったのは各々が真の自立を目指していたからだと思います。

最近は身体の障がいだけではなく、精神・発達障がいを持つ人が多くなっています。それに伴い、柔軟な対応や接し方を求められる時代になってきました。
身体の障がいの場合、「できること」「できないこと」が目視で確認できますが、精神・発達障がいの場合については、特性を見極める必要があるため、時間をかけて判断をすることが非常に重要になります。
精神障がいの場合は、障がいを負った原因、発達障がいの場合は得意不得意の理解が必須となりますが、同じ障がいの種類であっても個々の生活環境や生育状況により対応は様々になります。

それは、健常者と言われる人においても、同じではないでしょうか。私達は皆、育った環境により各々の性格や価値観が違うので、みなさんも自然とその人に合った接し方をしているはずです。そこで、こんな捉え方をしてみるとどうでしょうか。
「音に敏感になりすぎる」を「耳が良い」、「潔癖すぎる」を「綺麗好き」と捉えることもできます。このように、健常者でも一定の特性に特化している人も多いかと思います。それも一つの個性です。

私は、この仕事を通して、障がい、性格、価値観はすべて「個性」だと考えるようになりました。この多種多様な「個性」と上手に付き合っていくことこそが、「障がいの有無」という概念を限りなくなくすことに繋がるのではないでしょうか。近い将来、障がいすら「個性」と言われる時代がくることを願っています。

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